北アルプスデビューしました (昨夏の思い出)2(燕岳山頂目前まで)

「北アルプスデビューしました (昨夏の思い出)1」の続きです。

結局ほとんど眠れずに、朝5時就寝、2時間弱睡眠という超短時間睡眠でのスタートです。
朝8時過ぎにJR大糸線穂高駅からタクシーで出発し、燕岳登山口に到着。
燕岳登山の定番ルートにて登山開始です。

この日の行程

株式会社Cパートナーズ ハイキング 北アルプス ハイキング 北アルプス
ルートマップバンダナのルート図

中房温泉(燕岳登山口) → 第1ベンチ → 第2ベンチ → 第3ベンチ → 富士見ベンチ → 合戦小屋 → 燕山荘 → 燕岳山頂

距離は約5.5キロ、標高差約1,300m、所要時間は約5時間の登りです。

上記のルート図は、宿泊した燕山荘の売店で購入した「ルートマップバンダナ」の一部です。
イラストがかわいいのはもちろん、北アルプスでみられる動物や植物まで細かく描かれていて、おすすめお土産です!

株式会社Cパートナーズ ハイキング 北アルプス
ルートマップバンダナ全体

楽しみにしていた燕岳登山ですが、スタートからしっかりと雨が降っていました。
レインウエアを着て登っていましたが、蒸し風呂状態になって汗だくで不快な状況に。
どうせ濡れるなら雨に打たれている方が気持ちよいなという安易な考えでレインウエアを脱いでTシャツ1枚で快適に登っておりましたが、これが後に悲劇を引き起こします。

登り道中は天気が悪く写真を撮っていません。つたない文章だけですがご容赦くださいませ。

長い登りをゆっくりペースで登りスタートから約4時間、頂上まで後3分の1程度の合戦小屋に到着してお昼休憩です。雨と風がかなりの強さになっていました。
ご飯を食べながら休憩していると、急に超絶に寒くなってきました。
動き続けていれば快適だったのですが、標高も高くなったうえに強風と濡れたTシャツで凍える寒さに。
身体が冷え過ぎてしびれまで出てきました。
人目もはばからずに外で着替えて体を動かしたり温かい飲み物を飲んだりしましたが、しびれはなかなか収まらず、あやうく低体温症の一歩手前でした(><)
初歩的なことだとは思いますが、夏場暑いからといって雨に打たれながらの登山は絶対にやめてくださいね。
身をもって危険なことだと実感。

合戦小屋を出発してしばらくすると、雨も風も弱くなってきました。

株式会社Cパートナーズ ハイキング 北アルプス

晴れ間も少し見えたり、また曇ったりを行き来していましたが、山頂でのお天気に少し希望が見えてきました。

株式会社Cパートナーズ ハイキング 北アルプス

ついに景色が開ける山頂近くまできました。
あれ、晴れてる?

株式会社Cパートナーズ ハイキング 北アルプス

写真でしか見たことがないような景色がひろがっていました。

つづく~

北アルプスデビューしました (昨夏の思い出)1

ついに、緊急事態宣言が出ましたね。皆様一緒に乗り切りましょう!
外出自粛の状況なので、夏までには完全回復してほしいとの願いをこめて、今回から数回にわたり、昨夏の燕岳ハイキングについて記事にいたします。

昨年8月、山小屋&北アルプスデビューしてきました!
それが燕岳です。

燕岳(つばくろだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)にある標高2,763 mの山。山体すべてが長野県に属する。日本二百名山及び新日本百名山に選定されている。
常念山脈に属し、北アルプス三大急登の一つである合戦尾根を登り切った稜線上にある。1934年(昭和9年)12月4日に中部山岳国立公園に指定され、山頂付近は特別保護区域、その周辺は特別地区に指定されている。中房温泉が登山口であり、大天井岳を経て槍ヶ岳へ向かう表銀座コースの始点でもある。花崗岩でできた独特の山体を持ち、高山植物の女王と言われるコマクサの群生がある。周辺のハイマツ帯には、ライチョウが生息している。
山名は、春の雪形がツバメに似ているためにつけられた。1915年(大正4年)の長谷川如是閑の『日本アルプス縦走記』で燕岳が記され、この10年前からの期間内で命名されたとする説がある。(Wikipediaからの引用)

燕岳ハイキングはまず出発の地にたどり着くまでが大変でした。

出発日は朝はやいため、前日に松本入りするべく、仕事後に新宿出発20時のあずさ35号に飛び乗りました。
電車に間に合ってほっとしたのもつかの間、時計が明らかに20時をまわっているのに何故か電車が発車せず。
どうやら中部地方の広範囲で大嵐、その影響で出発できないようです。
しばらくしたら出発するだろうと高を括っていましたが・・・

時間は刻刻と過ぎていき、21時。
まだ新宿。

ずっと楽しみにしていた燕岳ハイキング。
何とか出発の地までは行かせてくださいとお祈りし続けておりましたら、ようやく電車が動き出してくれました。
よかった!

しかし、順調にはいかず、動いては停まり動いては停まり・・・
甲府駅に着いたころには日付がかわっていました。
予定通りであれば、22時半過ぎには松本駅に到着、既に眠りについている時間でした。

それでも何とかついに松本駅に到着!
時間はといえば、
午前3時。

予定の4時間半遅れでの到着でしたが、何とか到着できてよかった!
遅い時間にもかかわらず、ホテルの方は快く迎えてくださいました。

しかし、ホテル滞在は約3時間。高いホテル代となってしまいました・・・

感動的な差し入れ

甲府駅で電車が停車しているときに、遅延のお詫びということでお茶とパンを差し入れていただきました。
この気遣いは感動。
深夜ですが食べてしまいました・・・

つづく~

東北の小京都、角館

いよいよ年の瀬も迫り、今年も残り僅か。
今年一年、いろいろな方にお世話になりました。
ありがとうございました。

今年最後のブログは、わたしごとですみません。
大人の休日切符を使って行きました秋田県の人気の街、角館の町のご紹介です。

深い木立と、重厚な屋敷がまえで知られている角館町は元和6年(1620年)角館地方を領していた芦名義勝によって造られたものです。
三方を山に囲まれ、南の玉川筋によって仙北平野に開いている地形は城下町を形成するため、最も適した場所で合ったのです。

町を作るのには現在の古城山(城跡)を北端として南に向けて三本の道路を設定して、これを中心にして作ったといわれてます。

町の中央部、市役所のある広場は『火除け』と呼ばれる場所で、幅25メートル、東の花場山のふもとから西を流れる絵木内川まで、町の最も狭い部分を分断する形で設けられています。
ここが武家町(内町)と町人町(外町)を区分する場所となってます。

北側に位置する武家町は、深い木立が覆い、一方、南の町人町は街並みがびっしりと埋めて対象をなしてます。町が作られた当時は武家屋敷250戸、町家420戸と数えられ明暦2年に芦名氏断絶のあとを受けて佐竹北家が入部し秋田藩の所領として一門筆頭の城下町を形成してました。依頼400年余、町の形は大きく変わってません。特に内町の武家町は道路の幅から曲がり角一つまでそのまま残ってます。まさに角館は歴史の生きている町でもあるのです(ガイド紙面より抜粋)

Cパートナーズ営業日記 東北の小京都、角館
武家屋敷通りの紅葉
Cパートナーズ営業日記 東北の小京都、角館
武家屋敷通りの紅葉

館で寄りたいのは、稲庭うどんのお店です。
夏は冷たい麺で、ぴかぴかに光っているひねりのきいた盛り付けでのど越し最高です。

Cパートナーズ営業日記 東北の小京都、角館
稲庭うどんの温麺

冬の寒い日は、出汁のきいた、やや甘めのおつゆの温麺でいただきます。
個人の見解で恐縮です、うどんの中で一番は稲庭うどん!
四国出身のみなさま、群馬の水沢のみなさま、すみませんです。
自分勝手のブログで。

それではまた、懲りずにご覧いただけますよう、ご覧いただけますようお願い申し上げます。